死ぬくらいなら会社辞めればいいのに派の僕が、異なる考えに触れて思うこと
こんにちは、shota(shotatweet)です。
最近もありましたね、仕事が辛くて自殺をしてしまったというニュース。そんな労働環境が問題になっている今日この頃、時代にマッチしたこんな本が話題だと聞いて読んでみました。
汐街コナさんの著書、 「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ) です。
僕は、“死ぬことより辛いことはない”と思っている人間なので、会社を辞めるよりも“死ぬこと”を選択する気持ちがわからないというのが本音です。
しかし、世の中にはいろんな人間が居て、いろんな考えがある訳です。
理解できないから否定して終わりではなく、謙虚に相手の考えに触れて考えるようにしていこうと思い、異なる考えであるこの考えに触れてみることにしました。
死ぬことを選ぶ人たちは、精神を病んで正常な判断ができなくなっている
著書の中で最初に語られているのがこれ。なぜ ”会社を辞めるのではなく、死を選んでしまうのか” という理由。
余裕のある普段の自分であれば、人生にはたくさんの道があることが見えている。しかし、疲労とストレスで追い込まれて余裕がなくなると、たくさんあるはずの道が見えなくなってしまう程に周りが見えなくなってしまうということ。
やはりここが肝なのだと思いました。“余裕のある自分と追い込まれた自分”は違うということ。精神的な病気であり、“誰にでも起こり得ること”なのだと改めて思いました。
他人事のように思っていた事例ですが、それではいけない。すべての人が直面する可能性があるのだから、ちゃんと向き合って行かなくてはいけないのではないだろうか。
何事もそうだが、“早い判断、早い行動”がやっぱり大事
とにかく大事だと思ったのは、“早い判断、早い行動”である。時間が経って、追い込まれれば追い込まれるほどに判断能力は削がれていく。
今は労働力不足が騒がれ、仕事などいくらでも選べる時代。不安や不満を抱えているのに無理することはないのだと思う。
リスクに備え、日頃からアンテナを張り、収入を一つに頼らない等の生き方がより大事になってきている。
常識=正解ではない、頑張らない勇気も大事
人には向き不向きがある。それは普通のこと。
日本社会は何かに秀でた人間よりも、すべてをそれなりにこなせる人間を好む傾向があり、苦手も努力して克服しなさいという考え方がスタンダードだ。
しかし、この考え方はとても非効率的で無駄の多い考え方だと思う。常識=正解ではない。常識などただの多数意見だ。
人は向き不向きがあるのが普通であり、その向き不向きは皆バラバラなのだから、役割分担すればいいだけなのだ。世界的に見ればそれが普通のことだし、そっちの方が効率がいい。
問題は、非効率的な会社や社会であり、我々個人ではない。
苦手や不安、不満なことを無理して頑張るのではなく、得意なことややりたいことを頑張ればいい。苦手や嫌いを頑張らないこと=無責任ではない。頑張らない勇気もとても大切だ。
最後に
世界は広い。日本に生まれたからといって日本で無理して頑張る必要はないし、就職した会社で無理して頑張る必要もない。
合わないと思ったら他で頑張ればいい。
世界は広いのだから、広い視野を持って、自分に合った選択をすればいい。
苦手や不安、不満から逃げるのは無責任じゃない。
自分を大切に生きようよ。